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歴 史

(source:マリアナ政府観光局) 



ルトガルの探検家、フェルディナンド・マゼランがマリアナ諸島を発見したのは
1521年。
それよりもずっと前の紀元1500年頃からこの島々では原住民のチャモロ人が居住し、
文化を繁栄させていました。
チャモロ人は自分達の伝統や動植物と共にインドネシアから移住した民族であるという
事が考古学者の間ではほぼ一致した見解となっています。
『香辛料の島』を探し求めていたマゼランは、マリアナ諸島に香辛料と金があるものと
信じ込み食料と飲料水を補給する為入港したものの、共通する言語がなかった事から
致命的な誤解が生じ、すぐに出港してしまいました。
その後150年近くもの間、マリアナ諸島はスペインやポルトガルの探検家からほとんど無視された状態が続きます。

1668年になってイエズス会のディエゴ・ルイス・デ・サンヴィトレス神父が8人の宣教師
を伴なって訪れ、スペイン国王のマリア・アナ女王にちなんで『マリアナ諸島』 と命名、
住民をキリスト教に改宗させる試みが始まったのです。
チャモロ人は自分たちの島々が植民地化される事に強く反発し、この外部からの侵入に強硬に抵抗しました。
サンビィトレス神父を含む数人の神父が惨殺された後、1700年頃になって島にはようやく落ち着きが戻ってきましたが、時折勃発した残虐な戦いの為に一時はマリアナ
諸島全域で40,000にも達していたチャモロ族の人口は、1720年には約1,500人にまで減少してしまいました。

1700年から1850年、平穏無事なスペイン統治時代が続きました。
この頃カロリン人がサイパンに定住するようになり、フィリピン人、メキシコ人、スペイン 人に加えて時には米国人や英国人の脱船者がマリアナ諸島に到達して定着し、農作 による地元の生活に溶け込んでいくに従い、人口も増えていきました。

1899年、米西戦争で敗北したスペインが北マリアナ諸島をドイツに割譲し、サイパン に本拠地を置いたドイツ政府は大規模な社会改革を実施。
カプチン宣教師がスペインの宣教師にとって代わり、ドイツ政府の地区行政官が伝統的な植民地スタイルで島民の生活を取り仕切っていくようになりました。

1次世界大戦の終結を迎える1918年までにはミクロネシアのほぼ全域が日本の
占領下となり、これを1920年、国際連盟が正式に承認しました。
ドイツのカトリック聖職者から一時的に日本のカトッリク教徒たちに代わった後、ローマの法皇との合意に基づいてスペインの聖職者が入ってきました。
島の商業、特に砂糖農園を統括する為日本人総督が任命され、大きな利益を上げていた砂糖栽培に従事する為に日本と沖縄から何千人もの労働者が呼ばれ、移民人口が地元住民の数を上回る結果となりました。
サイパン、ロタ、テニアンには、当時の大規模な砂糖農園の面影が今も残っています。

1930年代になる日本は商業よりも帝国主義に力をいれ、マリアナ諸島は数万人日本人兵士が駐屯する要塞と化していきましてた。
1943年、民間政府は軍司指令部に戻り、再び世界大戦の様相を呈してきます。
1942年半ば、ミッドウェー沖海戦での日本敗北に続いて連合軍は着実に西進を続け、1944年夏、マリアナ諸島の奪還に成功。即時に米国軍の基地となり、サイパンとテニアンは飛行場が設置されました。
世界初の原子力爆弾を搭載したB29型機が1944年8月、広島へ向け飛びっ立ったのがこのテニアンの飛行場です。
その数日後には長崎にも原子力爆弾が投下され、これが引き金となり4日後に終戦を迎えました。

1947年、『日本委任統治領』だったマリアナ諸島は米国の『戦略信託統治領』に変わり、1986年まで米国の統治下に置かれていました。
マリアナ諸島と米国連邦政府の政治的関係については、米国と政治的調和を保つ連邦設立に関する盟約の中で定義づけられています。
これは双方の代表によって交渉されたもので、米国籍を持たない住民たちが自らの統治権を米国に移行し、米国領になることを自由投票により選ぶというこの1975年の決定は米国史上でも前代未聞のことであり、それ以降も例がありません。
今日、北マリアナ連邦の住民は関税や入国など国際事情に関る政策は自らの法律で管理する一方、米国籍を有し、米国の憲法の保護を受けるなどの恩恵を得ています。